2010年3月末をもって、琉球放送を退社致しました。 現在の活動はこちらのブログでご覧に慣れます http://makikokobayashi.ti-da.net/ 今後とも宜しくお願い致します。

2007年05月15日

沖縄復帰の日。

『うちなんちゅって何?』を改めて考えてみるヒミツ

というのも、先日取材を受けたからであります。


沖縄の血が入っていたら、うちなんちゅ沖縄本島

沖縄の土地が好きで、
生まれを誇りに思える県民No.1がうちなんちゅ晴れ
(先人のおかげですねピカピカ

同じ空気で生活をして、
感覚や想いが重なっているとうちなんちゅピース

私は半分本土の血が混ざっていますが
もちろん、うちなんちゅハート

例え、血は入ってなくても、来沖30年。
骨を埋める覚悟のある父もうちなんちゅだと、
私は思いますおすまし

今、改めて思っているのは、人って分けたがる。 分けると簡単。

でも、ラインを引くことよりも、人それぞれのバックグラウンドを大切にしなきゃと思う。
自分に言い聞かせる。

うちなんちゅだから。 やまとぅんちゅだから。 じゃなくて・・。

そうそうヒミツ  私は、ないちゃーという言葉はあまり好きではありません。

上原直彦さん曰く、やまとぅーもよくない。  やっぱり「やまとぅんちゅ」がキレイです。

特に何かの差別を受けたことはない。 けど、それそれの血が入った私はそう思っちゃった。


違う文化をもつもの同士、理解・尊重しあうのが理想だなぁ。

血+生まれ育った環境や周囲の人、考え方がその人を造っていくと思うから。

うちなんちゅのいいトコやわるいトコ、たくさんある。

島の外からいい刺激をもらって、スーパーうちなんちゅになれるといいな。 

とにもかくにも、今年は復帰して35年。

まず、忘れないこと。 話を聞くこと。 考えることが大事なんだろうグー


とりとめがなくて、申し訳ないです。 まだまだ結論の出ない夜は続く。。(≧ヘ≦)


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Posted by 小林真樹子 at 23:53│Comments(15)イロイロ
この記事へのコメント
沖縄の事を愛していたら、『うちなんちゅ。』
たとえ、内地で生まれても、いつの間にかに『うちなんちゅ』

って事でどうでしょう?
(*^-^)b
Posted by 11 at 2007年05月16日 00:05
職場でナイチャーは僕ともう一人だけ。紹介で「この人、ナイチャーですよ」と言われると、ちょっとだけ疎外感があります(u_u)
Kiroroの「帰る場所」のように、どこに住んでいても自然と沖縄を感じていられる人がウチナンチュの言う“誇り”なのかなぁと思います。
沖縄の人はよく「どこ住んでる?」って訊きますよね?!どこにいても“根っこの部分みたいなの”は沖縄に置いていってるんでしょうね♪
…ところでナイチャー同士のお子さんは“ウチナンチュ”ですか??
Posted by テッシー at 2007年05月16日 01:24
え〜っと、初めまして小林さん。私は高校卒業して23年間、東京で働いていました。東京でお世話になった上司が小林さんとフルネームが一緒。思わず親近感覚えて投稿しています。よろしくお願いします。
Posted by ヤイマ at 2007年05月16日 03:29
昨年、やまとぅんちゅ?に嫁ぎました。今、里帰りしています。結婚するまでは、仕事のため、里帰りというと、いつもトンボ帰りでした。23年ぶりにのんびり過ごしています。沖縄は随分、変わりました。何だか、浦島太郎の気分です。ま、仕方のない事です。5月15日のその瞬間の大人達の表情を覚えているだけに、ウチナーんちゅの変化に複雑な心境になります。
Posted by ヤイマ at 2007年05月16日 03:39
琉球放送には、想い入れがあります。小林さん、心から応援していますネ!頑張って下さい!
沖縄の良い所も悪い所も、きちんと伝えられる公平なアナウンサーになって下さい。やまとぅんちゅとウチナーの懸け橋になって下さいネ(^O^)/
Posted by ヤイマ at 2007年05月16日 03:45
沖縄復帰35周年という節目で改めて沖縄の存在を実感しました。
やっぱりうちなんちゅって言う言葉があるのは、沖縄をそれだけ愛している証拠なんでしょうね。
人は確かに分けるっていうことを考えてしまいます。私もそうです。
ただ、分けた範囲の外の世界にもいいもの・考えさせられることはたくさんあります。
内からも外からもいっぱい刺激をもらって、成長していきたいものですよね☆
Posted by ベイブリッジ at 2007年05月16日 08:39
うちなんちゅにやまとぅんちゅですかあ・・・・・・
改めて考えさせられますね。
でも、じぶんはその垣根を一気に越える言葉が
イチャリバチョーデーだと思います。
うちなんちゅだろうがやまとぅんちゅだろうが外国の人だろうが
みんな同じ人間だから仲良くやろうよって感じです
とにもかくにも復帰35年、皆で仲良くやっていきまっしょい
イチャリバチョーデー!!
Posted by ウナゾウ at 2007年05月16日 08:55
……

…特攻隊も戦艦大和も沖縄に向かった

…のですが。

…仲間を助けるために。
…捨て身で。


…そういう人とそうでない人が、沖縄にも他のところにもいる…だと思いたいですが。

これは「大和人」の考えなんでしょうね。


…復帰後世代の小林さんでも「血」といわざるをえないのが、沖縄、沖縄人なんだろうな…

今日も戦闘機の爆音が響く空…

<移住五年目…>
Posted by SHAL at 2007年05月16日 14:32
お互いチバロウねぇp(^-^)q
Posted by ☆むぎわらのシ~サ~☆ at 2007年05月16日 15:35
沖縄に移住してはや3年
移住は母親が沖縄生まれで親戚もいるので寂しさは感じませんでしたが…
不安がありました
それは私が生まれも育ちも東京で沖縄ではヤマトンチュ(特に東京もん)は好き嫌いがあるよ
と言われた事があり又数十年前になりますが、国旗掲揚と君が代問題が騒がれた時に沖縄の女子中学生が泣きながら国旗を引き下げている姿をニュースで見た時に、沖縄には遊びには行けるが暮らす事は出来ない!と強く思い、どうしても沖縄に移住しなくてはならないと決った時も踏ん切りがつかず
下見に3度来沖した程でした
しかし3度目の来沖時に勝連城で作業をされている方と話しをしていて思い切って移住を迷っている事とその理由を話すと
昔(戦争)の事があるからそういう差別をしたりする人はいるかもしれないがみんながそうではないから安心して来なさい
そして沖縄に来たら沖縄と本土の懸け橋になるように沖縄のいい所・本土のいい所を大切にしてたくさんの人に伝えてあげなさい
と言われ私はこの言葉を励みにして3年頑張ってきました
言葉どうりに懸け橋になっているのかわかりませんが今は仲間と楽しく仕事をし会ったその時からお友達!的な県民気性に寂しい思いもせず楽しく暮らしています
今にして思うと昔の心配事は何だったんだろう?と思う反面
真樹子さんのお父さん達差別の激しかった時代に移住された方々が長い年月をかけ沖縄の人達の見方を変え後から移住する人達が楽しく暮らして行けるように未来への懸け橋になってくれたのだと思います
私はどんな懸け橋になれるだろう?
すぐには懸けられなくても自分の目でいろいろな物を見て感じて小さくとも懸け橋を懸けてみたいと思います
Posted by しのぴぃ at 2007年05月16日 16:50
ブログへ初めてコメントします、ブラック武藤です。
小林さん、凄く考えさせられました。
俺も改めてアイデンティティってヤツを真剣に考えてみます!
Posted by ブラック武藤 at 2007年05月16日 18:04
 昨日の沖縄タイムス夕刊を見ましたよ。
 父親が本土出身なんですね。
 まぁ、同じ人間同士だから、本土とか沖縄とかにこだわらないでいきましょうや。
Posted by 海邦 純情派 at 2007年05月16日 20:32
私は母親が中国の人です。
関係の無い話かもしれませんが、私は○○人という言い方が余り好きではありません。
同じ人なのになぜか、違う人、違うモノという区別をするような気分になるからです。
戦後、中国と日本、そして沖縄は様々な事があり、今でもいがみ合う部分があるのでしょう。
それでも同じ人として接していきたいと強く思うブログの内容でした。

とりとめなく、纏まりの無いコメントで申し訳ありません。
Posted by 豚足 at 2007年05月16日 21:18
ゲノムって団体?で遺伝子ライブラリーを作るという活動に協力中です。 今回は沖縄の遺伝子を調べ、医療的な研究に役立てようとしているようです。よく言われている日本人のルーツ。南方と一部北海道に残る縄文人の血、大陸から渡ってきた弥生人の血があるといいます。私はというと、一目瞭然の縄文系の面立ちなんです。ブログや皆様の意見を読んで考えました。国や地域に所属する安心感も大切にしたいですが、ルーツは案外一緒であったり、混血であるとわかると面白いと思いません?今回それを確かめるよい機会だと思い来月採血します!案外わたしが弥生系だったりしたら、私のアイデンティや価値観はゆらぐのか? そんな自分に興味があります。復帰35年目。
本土への劣等感も少し和らいだ感じがします。ちなみに父は鹿児島。母はやんばるの混血でもあります。 復帰の年は小学生でした。国際通りを日の丸を振ってパレードした記憶があります。沖縄も日本も大好きです。
Posted by yasu at 2007年05月17日 02:05
分けることが大事なんじゃない。分けられてもそこからお互いを理解しあうことが大事なんだ、そう改めて思いました。
あまりに感動したので自分の日記(ti-da&mixi)にインスパイアされて思ったことを書いてしまいました(汗)。
Posted by じゅごん at 2007年05月22日 11:28
 
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